2011年5月31日火曜日

韓国3日目:ソウルの慶熙宮

いよいよ最後のソウル五大宮、慶熙宮(キョンヒグン)に向かいます。

途中見つけたロッテリア(韓国企業ロッテの系列会社)。エビバーガーはわりと好きですが、韓国のロッテリアではキムチライスバーガーなるメニューもあるそうです。

初日、添乗員さん(60代韓国人女性)に、「やはりロッテリアは若者に人気があるのですか?」と聞いたら、容赦なく「マクドナルドの方が人気がある」と言っていたことを思い出しました。ロッテリアは添乗員さんにリベートを渡さなかったのでしょうか。

ところで、写真手前のバイクは、荷物積み過ぎじゃないでしょうか。

慶熙宮は日本統治時代に日本人により破壊されてから、再建がもっとも遅れているらしく、公園としてオープンな場所になっています。

慶熙宮(キョンヒグン)の正門・興化門
慶熙宮の正門・興化門。現地パンフレットによると、伊藤博文をまつった博文寺の正門に使われた時代もあったとか。

慶熙宮が五大宮の地位を、世界遺産・宗廟(チョンミョ)に奪われそうな理由が、なんとなくわかるような気がします。他の五大宮と異なり、観光客らしき人はほとんどいないのです。ソウルのビジネス街にあるため、ランチタイムを公園やその周辺で過ごすビジネスマンの姿を多く見かけます。

韓国3日目:ソウルの昌慶宮

昌徳宮(チャンドックン)の正門・敦化門を出て、昌慶宮(チャンギョングン)の正門・弘化門へ向かう私と相方。

昌徳宮の外壁・昌慶宮までの道
直線距離にして500メートルくらいですが、外壁に沿って大回りする必要があり、結局1キロメートルくらい歩いたと思います。前日の水原華城6キロ周回ウォーキングで足に異常をきたしていた私にとっては、会社までの出勤と同じくらい、長く苦しくツラい道のりでした。

のちほど、昌徳宮と昌慶宮には連絡通路があり、ほぼ直線距離で昌慶宮に移動できると判明。日本で購入した糞ガイドブックには全く記述がなかったので、地面に投げつけて臭い足を押し付けてやりました。

昌徳宮と昌慶宮の連絡通路
これが、昌徳宮と昌慶宮の連絡通路。もう少し案内表示がわかりやすければ、きっと糞ガイドブックが臭い足に踏まれるという惨劇も起きなかったに違いありません。

皆さんのガイドブックが同じ悲劇に遭わないように、写真を載せておきました。

韓国3日目:ソウルの東大門、世界遺産・昌徳宮

韓国3日目。帰り支度をした上で、午後のフライトまでスーツケースをホテルに預けて、ソウルの街へ。

天気はあいにくの小雨。国宝第1号の南大門(ナンデムン)が大人の火遊びで消失しているため、代わりに東大門(トンデムン)を見に行きました。

東大門
通勤ラッシュの街に建つ東大門(トンデムン)。ところで、写真手前のバイクは荷物積み過ぎじゃないですか?

大トロの看板
地下鉄の駅を降りて、世界遺産・昌徳宮(チャンドックン)に向かう途中に見かけた看板。目の錯覚なのか、「大トロ」って読めるんですけど・・・。本当は何て書いてあるのでしょうか。背景のサカナの絵は、多分マグロじゃないですよね(カツオ?)。

2011年5月30日月曜日

韓国2日目:ソウルの景福宮

宗廟で王家の女性ガイドさんに驚いた私たちは、地下鉄でソウル五大宮のひとつ、景福宮(キョンボックン)へ。

景福宮の正門・光化門
景福宮の正門・光化門。

景福宮は日本統治時代に日本人が徹底的に破壊しちゃった宮殿なので、若干申し訳ない気持ちで入場します。

景福宮の光化門
光化門を場内から見たところ。ソウルの中心部というだけあって、周囲にはビルが林立しています。光化門の向こうに続く道が、1日目に立ち寄った世宗路です。

韓国2日目:ソウルの世界遺産・宗廟

水原華城の城壁6キロめぐりを終えた私たちは、スウォン駅からソウル駅に向かいます。

行きは地下鉄で月曜日の通勤ラッシュに巻き込まれてたいへんだったので、帰りは韓国の国鉄の急行(セマウル)を使うことにしました。

電車のホーム
韓国の国鉄のホームです。地下鉄には改札がありましたが、国鉄には改札がありません。代わりに、車内で検札がありました。

ソウル駅
ソウル駅には30分ほどで到着。首都の中心となる駅ですが、迷路と化した東京駅よりも理路整然と整備されており、洗練された印象でした。

韓国2日目:世界遺産・水原華城その3華城行宮

水原華城の城壁6キロをめぐる旅は、30度を超える炎天下でまだまだ続きます。

水原華城の華虹門
水原華城の華虹門。他の門と異なり、川のお魚さん専用の門となっております。

サザエ閣とアーチェリー練習場
その形からサザエ閣とも呼ばれる物見やぐら(写真奥)。お魚くわえたドラ猫を見張る際に使われていました。

物見やぐらの手前側はアーチェリーの練習場になっています。観光客の皆さんは、射殺されないように注意しましょう。

韓国2日目:世界遺産・水原華城その2長安門

水原華城の城壁6キロをめぐる旅。

観光客からのみ(?)入場料を取り立てるチケット売り場で、2000ウォンをど~んと支払った私と相方は、30度を超える猛暑に汗だくになりながら、西将台から華西門を抜けて長安門方面へ向かいます。

水原華城の華西門
水原華城の華西門。ところで、歴史的建造物の名前は、現地で購入した韓国語・日本語(漢字)・英語が併記されたガイドブックを参考にして書いているのですが、漢字の読み方が全く不明です。英語で「華西門」は「Hwaseomun」だそうです。

水原華城の城壁内の街並み
城壁の内側の街並み。城壁沿いには、ところどころ店があります。写真中央の案内板近くに座る夫婦(?)は、撮影位置まで届くような声で、怒鳴りあいのケンカ中でした。奥さん圧倒的優勢。

韓国2日目:世界遺産・水原華城その1八達門

ソウル郊外のホテルで迎えた、はじめての韓国の朝です。

外から聞こえる鳥のさえずりで目を覚ました私は、さわやかな朝の街を見ようと、ホテルのカーテンを開けると・・・

朝日を受けて輝く韓国のスクラップ(ホテルの窓から撮影)
日の光を受けて輝く、韓国のさわやかなスクラップ・・・

向かいの理髪店(?)のおばさんと目が合ってしまいました。

一応言っておきますが、スクラップ工場に宿泊したわけではありません。いまだかつて、ホテルの窓からこんな景色を見たことはありません。隣接地は別の所有者なのか、おそらくこのホテルに責任はないと思うのですが、他に文句なく快適だっただけに、残念な感じです。

今回の旅行では、このホテルに連泊予定。移動のための荷造りをしなくてもいい点はラクです。もちろん、念のため貴重品はレセプションに預けるか携帯して、それ以外のものもスーツケースに詰め込んでカギをかけております。

今日は、ソウル郊外スウォン市にある世界遺産・水原華城を目指します。

月曜日ということもあって、ソウルから乗った電車は通勤客でおしくら饅頭の超満員。そんな車両のなかで人をかき分けてあみ棚の新聞を集めるオジサンがいたり。

スウォン駅(水原駅)
やっとの思いでたどり着いたスウォン市の中心のスウォン駅(水原駅)。交通量も多くて、意外と都会です。

2011年5月29日日曜日

韓国1日目:ソウルの世宗路、徳寿宮

夕食のあとは、車で移動中に化粧品の紹介をはじめる添乗員さん(60代韓国人女性)。韓国ではカタツムリのクリームがブームらしいです(アマゾンでも売ってます)。来年の梅雨には、顔に30匹くらいカタツムリを乗せてみたいと思います。

まだまだ続くしつこい勧誘にげんなりしながら、ようやくホテルに着きました。

荷物と添乗員さんから解放されて、小おどりしながら地下鉄へ。

ソウル地下鉄の券売機
ソウルの地下鉄の券売機は、日本語も選択できて便利です。ハングルはさっぱり読めませんが、駅には番号が併記されているため、迷うことはありません。

ソウル地下鉄の切符(交通カード)
紙の切符が廃止された韓国では、券売機でプラスチック製(?)のカードの切符を購入します。このカードを返却すると500ウォンが返金され、カードは再利用されます。これは日本も見習うべき仕組みかもしれません。

韓国1日目:ソウルの清渓川、明洞聖堂、ロッテ、新羅

今回は、5月29日~5月31日の2泊3日で、韓国のソウルとその周辺をめぐる旅行記です。

短い旅行ですがほとんど自由行動となっており、近くて遠い国、韓国を少し知ることができました。東日本大震災から2ヶ月あまりということもあり、逆に近隣国から見る日本の印象のようなものも感じられた旅でした。とりあえず、旅行記をどうぞ。

仁川国際空港
仁川国際空港では、まだ日本からの乗客への放射線検査が行われていました。

空港の出口で、私たちを出迎えてくれた現地添乗員さん。私たち以外に客がいなかったため、空港の外で待つ運転手さんとともに、私たちの専属状態でした。

空港を一歩出て、すぐに後悔。5月も終わりですが、日本では肌寒いくらいの気温だったため、上着や長袖を多めにしてしまったのです。添乗員さんによると、韓国は日本とは逆方向に異常気象とのことで、気温は30度を超えており、半袖でも十分な暑さでした。

清渓川
なぜかツアーに組み込まれていたため、最初に立ち寄った清渓川。李明博(イ・ミョンバク)大統領がソウル市長だった時代に、高架道路を撤去するとともに、川を清浄化して復元させた川です。韓国人の皆さんの憩いの場となっています。